ほねをくれ

Memory 青春の骨なしチキン

アウトプットしなさいって

誰にともなくそう言われた気がしました。

ああ、具体的に誰に言われたとかではないんです。昨日今日、ネットで調べ物をしていたときや、ネットサーフィンをしていたときに「インプットよりアウトプット」「アウトプットができるといいことたくさんある」「アウトプットは大事」というような記事や本の紹介を何度も見たもので、なんだか「アウトプットしなさい」ってお天道様から言われたような気がしたんです。わたし、そういうふうに考えてしまうので。

今まで、本を読んでも、映画を観ても、何をしても、感想や自分の考えを言ったり、書き留めたり、ブログやツイッターに書いたり、ということをほとんどしてこなかった気がします。インプットとアウトプットでいえば、確実にインプットのほうが割合が多かったです。

何度も自分の考えていることを文章にして外に出そうとしました。でも、文字を打つのがめんどくさいとか、書いているうちにすごく無駄なことに思えてしまったりとか、考えているときはすごく大切で重要なことに思えたのに言葉にしてみたら心底くだらないことだったと気付いて意気消沈したりとか、考えながら書いているうちに思考がこんがらがって文も頭もグダグダになって消したりとか、自分の考えていることに自己嫌悪になったりとか、そんな理由でやめてしまいました。それこそ心底くだらないことですよね。きっと大事なのは考えている内容ではなくて、思考を外に出す行為のほうなのに。

たぶん、自分がしょうもないことしか考えていないということを認めるのがつらかったんだと思います。いつもネガティブなことばかり考えているし、ただでさえ子供の頃からの自己嫌悪で頭がいっぱいでしたので。それに、いつからでしょう、生産性が高いことや有益なことでないと、人様に見てもらう、読んでもらう価値がないと、半ば強迫観念のようなものが芽生えていました。自分以外の人の、日常のぼやきとか、本や映画の感想とか、そういうツイートやブログを見るのは好きなのに、自分がそれをすることは歓迎してもらえないと思っていたんです。きっとそんなことはないのに。まあ、そんなことを思いつつも生産性皆無のツイートやブログばかり書いているのですけれど。

 

何の話をしていたのでしたっけ。ああ、アウトプット。なので、今までまともにできなかったんです、アウトプット。でも、今ならちょっとだけできるような気がします。なんて、今までも何度も思って何かやろうとして、挫折してたんですけどね。しっかりやろうと思って身構えてしまうのが良くないのかもしれません。でもやり方がよくわからないので、ちょっと調べてみようと思います。

そういえば、前にアウトプット的なことをするぞーと思ったときに作ったのがこのブログでしたよね。当時は自分の夢とか症状を外に出していきたかったんでしたか、イマジナリー品評会なんてのをやってましたよね。品評会らしいことは何一つやらなかったみたいですけど。みんな話すのもつらくてやりたがらないし、ある程度症状が落ち着いたので自然消滅したみたいですね。内容が内容だけに、それはそれで良かったと思います。

今度は無理なく続くといいですね。わたしはこれで失礼します。