ほねをくれ

Memory 青春の骨なしチキン

イマジナリー品評会 夢部門「服を選べない」

着ていく服が決まらない夢をたまに見る。

待ち合わせとか、何かの時間が迫っているとか、理由は様々だがとにかく急いで着替えて出なきゃいけないのに、確実に場違いな服ばかりを選んで着てしまう。これじゃだめだと全部脱いで、また別の服を着てはこれも違うと脱いで、いつの間にか足元には脱ぎ捨てた場違いな服ばかりが溜まっていく。

そうやってるうちに時間はどんどん過ぎていって、ああこれじゃあ間に合わないとイライラしているのに、何故かまた場違いな服ばかり選んでしまう。だんだん服が決まらないことと時間に間に合わないことにパニックになって、半泣きで叫んで喚きはじめる。でも、場違いな服を脱ぎ着する手は止まらないし、着ていきたい服は依然として選べない。

状況や切迫の度合いは夢によって違うが、そういう夢をたまに見る。

 

現実でも、着ていく服が決まらないことは度々ある。

でも夢の中では、明らかにジャージ一択だろとわかっているしジャージを着ていくつもりでいる状態でも、ジャージ以外の服ばかり出して着ている。それに対してイライラしている。要は考えていることとやっていることが噛み合わないのだ。服以外でも、そういう状況になってイラついたりパニックになったりする夢をよく見る。

 

夢占い的には、服が選べないのは自分を見失っていることの暗示らしい。でも、そもそも見失うほどの自分が存在したのか、それすらよくわからない。

 

 

評価
クソ度★★☆☆☆
絶望度★☆☆☆☆
リアル度★★★☆☆
謎の焦り度★★★★★★

 

審査員から一言
「しんどいことには変わりないと思いますので、早くぐっすり眠れるようになりたいですね」

描いた絵の話「安達ヶ原の鬼婆」

【鬼】「安達ヶ原の鬼婆」イラスト/くろいやなぎ [pixiv]

  

一ヶ月前の話をするが、鬼婆の絵を描いた。

毎年8月に行われている、箱の中のユーフォリア様主催「愛知百鬼夜行展」に今年も参加したので、その出展用の絵である。私は鬼が好きなので百鬼夜行展では毎回鬼を描こうと決めていて、一昨年は宇治の橋姫、去年は酒呑童子だった。そして今年はものすごく鬼婆が描きたかったので安達ヶ原の鬼婆でエントリーした。好きなんだ、鬼婆が。

 

鬼婆、及び安達ヶ原の鬼婆をご存じでない方にざっくり説明すると、読んで字のごとく鬼のババァ、及び安達ヶ原(現在の福島県)にいる鬼のババァである。

ちなみに「鬼婆」と似ている怖いババァに「山姥」と「奪衣婆」がいるが、山姥は山神だったり金太郎のお母さんだったりと一部に光属性がいる怖いババァ、奪衣婆は地獄(正確には三途の川)で働く従業員の怖いババァである。対して鬼婆は1000%闇属性の怖いババァだと思って良い。鬼婆だもの。

鬼婆はほぼすべてが「何らかのきっかけで鬼に化けた人間の女」であり、「一晩泊めてくれ」と訪ねてきた旅人を殺して食う人食い鬼婆であることが多い。その「旅人を殺して食う人食い鬼婆」の伝説が全国各地にあって、中でも特に有名な伝説が「安達ヶ原の鬼婆」、だいたいそんな感じだ。

詳細は後ほどWikipediaを見ていただくとして、ものすごく要点をかいつまんで安達ヶ原の鬼婆を説明すると

・お坊さんが安達ヶ原を旅していた

・人里離れた所で日が暮れちゃったので、見つけた岩屋の老婆に泊めてくれと頼む

・老婆に「奥の部屋は絶対覗くな」と忠告されるも覗いてしまう

・そこにあったのは死体の山で、老婆は人食い鬼婆だったと知りお坊さん逃げ出す

・老婆もとい鬼婆がめちゃくちゃ追いかけてくる

・お坊さんが法力でぶっ倒し、仏様の力で鬼婆は成仏して埋葬された

諸説あるが、だいたいこんな話である。ちなみに埋葬された塚は「黒塚」というのだが、今では鬼婆のことを「黒塚」と呼んだりする。

さらに「鬼婆はもともと公家の乳母で、奉公していた姫の病気を治すため妊婦の生き肝を求めていた。だが殺した妊婦が自分の娘だったことを知り、気が狂って人食い鬼婆になった」というバックストーリーもある。つらい。

ちなみに「安達ヶ原の鬼婆」の舞台となった福島県の安達ヶ原には、鬼婆の岩屋や鬼婆が包丁を洗った血の池などがある聖地・観世寺と、鬼婆の墓である黒塚がある。めっちゃ行きたい。

その他いろいろともっと説明したいことあるのだが書いていると絵の話をしないまま終わってしまうので、鬼婆伝説が気になった方はとりあえずWikipediaを読んでいただきたい。

黒塚 - Wikipedia

 

 

で、私が一番最初に鬼婆伝説を好きになったのは、好きなバンドである陰陽座がこの伝説をテーマにして歌った曲がきっかけだった。

組曲「黒塚」~安達ヶ原

組曲「黒塚」~安達ヶ原

  • provided courtesy of iTunes
組曲「黒塚」~鬼哭啾々

組曲「黒塚」~鬼哭啾々

  • provided courtesy of iTunes

こちら。

鬼婆の心情を歌った「安達ヶ原」と、鬼婆が僧に討たれる「鬼哭啾々」の二曲仕立て。好き。めっちゃ好き。最早この二曲を紹介したいがためにこの記事を書いていると言っても過言ではない。終始滲み出ている悲壮感と徐々に前に出てくる鬼婆の狂気とやるせなさ、もう大好きオブ大好き。

最早このブログは閉じていいから陰陽座を聴いてほしい気持ちでいっぱいなのだが、絵の話を読みにこの記事を開いた人が私を含め1人ぐらいいると思うので話を進めると、鬼婆伝説を知ったきっかけがこの曲だったので、鬼婆に対して哀愁感や悲壮感みたいなものをずっと感じていた。

一方、私は両親が共働きだったので祖母に育てられたのだが、優しさの裏に「逆らったら山に捨てるぞ」みたいな威圧感がずっとあって逆らえなかったし、祖母が怒ったり機嫌が悪かったりすると「ああこれは鬼婆ですわ…」とぼんやり思っていた。ただふとした時に祖母から漂う寂しさとか孤独感とか、昔語りをしている時の遠い目や端々に見え隠れする後悔とかやるせなさとか、そういう漠然とした何かをずっと見ていた。

だから思うのだが、今がどんな姿であっても、生まれた時は赤ん坊で、一生懸命泣いたり遊んだりした幼少期があって、思春期もあって、恋をした時期もあって、何かに一生懸命打ち込んだ時期とかもあって、幸せなこと、つらかったこと、いろんなことが沢山あって、その時間と喜怒哀楽が積み上げられた過去は、老婆になっても、あるいは鬼に化けた後でも、決して消えてはいないと思うのだ。

 

ということを何年も考えていたので、いつの間にか怖いながらも哀愁漂う鬼婆像が私の中に出来上がっていた。

のでそれをどうにか頑張って絵にしたいなあと思いながら描いたのが今回の鬼婆さんである。

前置きが長くて申し訳ないがここからが今回の絵の話だ。もうここまで書いて腹一杯なのだが、読んでいる人が私を含めて1人ぐらいいると思うので話を進めると、とにかく怖さと哀愁感を全面に出すことをめちゃくちゃ頑張った。

絵を見てくれている方にお伝えできているかはわからないが、顔はよく描けたと思うのでとりあえず見ていただきたい。

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当然モデルは祖母である。本人はもうちょい童顔だけど。

 

鬼婆が襲いかかってくる瞬間よりも、こっちを見てロックオンされた瞬間の方がゾワッとすると思うので、というか私が祖母のそういう瞬間が怖かったしホラー映画でもそういうシーンが一番怖いので、静かながらも怖い絵を目指して描いた。画面的には地味ではあるけれど母や友人に見せたらそれなりに怖がってもらえたので、たぶん怖い絵にはできてると思う。

とにかくシンプルにしたかったので山積みにする予定だった死体を減らし、何なら白骨も転がす予定だったけどボツにした。ちょっと無念。白骨ごろごろ転がしたかった。でもどう頑張っても悪目立ちにしかならなかった。無念。

たぶんちょっと前までならもっと画面をごちゃごちゃさせてたと思うのだけど、何もない空間の怖さを「死霊館エンフィールド事件」で学んだので鬼婆さんの後ろは全部塗り潰した。死霊館を見てなかったら絶対テクスチャぶっこんでごちゃごちゃさせてたと思う。ありがとう死霊館。ちなみに青~緑をメインにした怖い色味は「インシディアス」で学んだ。ありがとうインシディアス。大切なことはいつだってジェームズ・ワン監督が教えてくれるのだ。

 

あとはとにかく全年齢向けを意識して描いた。そもそも展示が全年齢対象だし、スプラッタにしすぎるとそっちに目がいってしまい前述の哀愁感なんぞ目にも入らないので、血は彩度を下げまくったし、死体は手足だけにして見た目マイルドにした。つもり。元々グロい絵を描きたい願望があまりないのでいつもどおりの匙加減ではある。でもスプラッタな鬼婆さんを描いてみたい気持ちはあるのでたぶんそのうち描く。

そういえば自分の創作でも鬼婆の絵を描いていたので差別化が大変だった。髪のゆるふわ具合とか角の長さとか目の色とか着物の色とか包丁の形が違うのだけどたぶん同じに見えてしまうと思うので、今後我が家の鬼婆をアプデしていくしかない。がんばるぞい。とにかく怖いババァの描き分けが難しい。描けばいつも顔が祖母に似ている。祖母以外のモデルを探そう。

イマジナリー品評会 現実部門「デジャブ」

頻度はさほど高くないけれど、デジャブを見ます。
 
ある時突然「この状況は前に夢で見たぞ!!!」とびっくりしたり、文章を打っていると突然「これ前にも同じこと書いた気がする…」という感覚になったり、ということがたまにあります。
 
だから何だっていうわけではないんですが、うーーんあまり困ってるわけでもないですね、あっどうしよう話が終わっちゃいますね…
 
えっと、えーと、あ、困ってるわけでもないって言ったけど、ちょっと嫌な感じです。
ただでさえ私は過去と現在が混同しがちだし、自分がどこにいるのか把握しているようでしていない人間なので、そこに「夢で見た」「前にも同じことが起きた気がする」という感覚が、突然、しかも強烈に湧いてくるとますます混乱するんですよ。
しかもそういった感覚のほうに気を取られて、ますます目の前のことに集中できなくなるじゃないですか。それが嫌です。
だからどうなりたいってわけでもないんですけどね…今のところこれで生活に支障が出たことはないし…でもなんだろうなんだかモヤっとします。
 
ああ、あと逆に、見慣れているもののはずなのに「これこんなだったっけ…??」と思うこともよくあります。こっちのほうが多いかもしれないです。
見慣れた部屋とか、文字とか、デザインとか、外の景色とか、そういうものが、今まで見ていたものとまったく違うものであるような気がするんです。ああ、こっちのほうが困りますね。自転車を運転している時にこれが起きると本当に困る。下手したら事故になりかねないじゃないですか。事故が起きないようにって緊張しながら運転してるからこうなってしまうのかもしれないですけど。こんなだから地方住まいなのに車なんて到底運転できそうにないんです。これがきついなあー。
 
 
そんな感じですね、ああ、今これを話している時は特に既視感もその逆も感じないです。ふと突然やってくるんです。ほんとなんなんでしょうねあれ。
 
 
あれ、ごめんなさい、何の話をしていたんでしたっけ。
 
 
 
評価
クソ度★★☆☆☆
困惑度★★★★☆
混乱度★★★★☆
どうにもならなさそう度★★★★★★★
 
審査員から一言
「切羽詰まっているわけではないようですが、漠然としてるぶん厄介そうですね」

久々にサイトを改装したらめちゃくちゃ疲れたのでもうやりたくないと喚き散らすだけの記事

30時間ぐらいかけて無を生産した。つまりサイトを改装した。

 

決してサイトが無だと言いたいわけではない。サイトは大事だ。

だがさほどアクセス数も多くないし、増やす気も特にないし、いじっていてさほど楽しくもないし、技術もさほど覚えもしない(覚えたとしても忘れる)、何一つ自分にメリットがないにも関わらず30時間もかけてサイトを改装している私は無以外の何でもない。そんな時間があったら寝るか絵を描くかYoutubeBTSを眺めたかった。どうしてこうなった。

 

とはいえ私が生産したものの9割は無なので今更何を言っているんだという感じだし、生産した無の大半は日の目を見ずにデータの藻屑となって消えるので、今回の無はサイトにアクセスした人には見てもらえる無なので比較的待遇の良い無である。ちなみに最近作った日の目を見ない無はスマホのホーム画面だ。むしろ日の目など見なくていい。見られたら死ぬ。私が。

 

これだけ無だと連呼するぐらいならいっそサイトなど閉鎖してしまってTwitterとpixivの世界で行きていけばすべてが解決するのに、なんでやらないのか我ながら不思議で仕方がない。しかもサーバーレンタル代を年間1万数千円払っているのである。そんな金があったら東京への遠征費に使いたい。どうしてこうなった。

だいたいにしてこのSNS全盛期のご時世に、アクセス数を増やしたいという欲もサイトを作る明確な理由も目的もないのにわざわざWordpressでサイトを作るなんて無駄オブ無駄だし、作るにしても今はスタイリッシュでSEO対策もしてある多機能なポートフォリオサイトをお手軽に作れるサービスがあちこちにあるのだから、それでサクッと作っちまえば良い話である。だがそんなことは一万年と二千年前からわかっているし、八千年過ぎた頃から考えなくなった。そのせいで私の地獄には常にWordpressがいる。もう縁を切りたい。

ならどうしてそこまでしてサイトをいじるのか、自分でもわからないのだが、というかそもそもサイトをいじるのに理由が必要なのだろうか、わからなすぎて最早哲学である。

たぶん一番の理由は、私は中学生の頃から何かしらサイトをいじってきたインターネット初老だからである。当時は父のお下がりのWindows98(当然ブラウザはインターネットエクスプローラー)で、みんなのタグ辞書ととほほのWWW入門を血眼で漁りながらメモ帳でタグを打ってサイトを作っていた。何のサイトを作っていたかはそっと察していただきたい。

それがかれこれ10年以上続いているので、なんかもうサイトをいじること自体が習慣だし趣味なのだ。リアル初老の方は家の庭をいじるが、インターネット初老の私は自分のサイトをいじる。つまりサイトは庭だったのだ。もう自分でも言っている意味がわからない。なんでこうなったんだ。本当にもうやめたい。リアルな庭をいじりたい。イモムシとか育てたい。庭に植えた何かの葉っぱにイモムシがきてシャクシャクと葉っぱ食べてるのを眺めて穏やかな気持ちになりたい。植えた植物食われてるけど。

 

そんなわけなので、時々ふとHTMLとかCSSとかいじりたくなって、あと自分のサイトだとものすごい勢いで粗が見つかるので、深夜にポチポチといじり始めちゃうのである。実に健康に良くない。PC画面に映る小さい英数字を凝視するのがマジでつらい。なまじ絵やデザインよりも視覚的な変化が少ないだけに、あまり疲れを感じず平気で10時間以上作業できてしまうのだ。そんで気づいたらめちゃくちゃ疲れてるし、目と指がすごく痛くなっているのである。あと一箇所phpが動くようにするのに数時間かけてググりまくって調整するのがストレスすぎて死にそう。動かない原因が自分の誤字だともうそれだけで爆発しそう。実に健康に良くない。やっぱりいじるなら家の庭をいじりたい。深夜でもいじれる庭がほしい。

 

そんなことを何年もずっと思っているのに、未だにサイトをポチポチといじっている。

なんだかんだで、作ったサイトが良い感じに動いてくれてると嬉しいし、「ここクリックしたらこれが表示される」というのを作っていくのが楽しかったりするのだ。家の庭よりも長くいじってきたので、勝手がわかるし、できることは少しずつ増えていくし、いじってたら確実に楽しい。たぶんこれがある限りこれからもポチポチいじっていくんだろうな。なんだかんだでWebって楽しいもんな。

  

ただSEOだけは全然わからないし楽しくないのでそろそろ滅びねえかなと思っている。

 

久々にGoogleで検索したらサイト名が「CASE961」じゃなくて「黒井柳」になってたの、本当にわけがわからないし直し方もわからない。どうしてこうなった。

 

 

 

あっ、その改装したサイトはこちらです。

https://kuroiyanagi.com/

イマジナリー品評会 夢部門「飛び降り」

某ステルスゲーの主人公みたいなことを自分がやっていた。
舞台は豪華客船みたいなでっかい船。曇り空と濁った海のせいで全体的に彩度が低かった。
視点は自分視点と自分を斜め後ろ上から見てる視点を切り替える感じ。
敵に見つかると残念ながら打つ手がないので、走って逃げて勢いよく海に飛び込む。落ちたら暗転する。たぶん死んでる。そんでスタート地点に戻る。
見つかった時のアラートとか敵の反応とかがもろ某ステルスゲーだった。数年前に3DS版の3を何回もやってたからだと思われる。ボス戦難しかった。
で、ステルスなんか上手なわけがないので毎回スタートからすぐ敵に見つかる。走って逃げて、海に飛び込む。暗転する。たぶん死んでる。スタート地点に戻る。

これを目が覚めるまで数回やっていた。
随分前の夢だし細かいとこは覚えてないけれど、船から海に飛び込む感覚とか景色とかは未だに覚えている。
敵の罵声や銃声を聞きながら逃げて船から飛び降りるときは「また死ぬのか」ってすごく絶望してたけど、飛んでからは空を飛んだ気になって爽快だった。海の色は濁っていた。


追い詰められて高所から飛び降りる夢自体は、昔も今も頻繁に見る。
崖とか海とかどこかの屋上からとか自室の窓からとか場所はバラバラだけど、だいたいいつも某赤い配管工みたいな感じですげー軽やかに飛び降りる。特に落ちてるときは、某配管工が落っこちて画面が暗くなってテレッテテレレレって鳴るの待ってる時みたいな諦めがある。飛び降りた後はあまり覚えていない。目が覚めるかスタート地点に戻るか別地点に行くかだと思う。

夢占い的には飛び降りる状況次第で良い解釈ができるらしいけど、その前に精神衛生上悪そう。



評価
クソ度★★★☆☆
絶望度★★★☆☆
リアル度★★★☆☆
追い詰められてる度★★★★★★★

審査員から一言
「現実で高い所に行ったとき『ここから飛び降りたらどうなるんだろう』って考えるのを控えたほうが良いと思います」